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カテゴリ:時緒翔子作( 4 )

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 三番
    左 
                    院百首 初度
 うちわたす遠方人(をちかたびと)はこたえねどにほひぞなのる野べの梅が枝
    右                    三宮十五首
 飛鳥河(あすかがは)遠き梅が枝にほふ夜はいたづらにやは春風の吹(ふく)
 
 左の歌は、(ずっと見渡すはるか遠くにいる人は答えてくれないけれど、匂いが自らを名乗っているのは野に咲く白い梅の枝である)
 この歌には本歌がある。「うちわたす遠かた人にもの申す われそのそこに白く咲けるは何の花ぞも」(古今集・雑体歌・読み人しらず)
 本歌の中に「白く咲く」という言葉があるので、新しい歌には敢えて「白い」と言ってなくても、そのように訳すべきであろう。
この本歌の面白いところは、すでにこの時代に空白や句またがりや破調という、今われわれが習っている修辞法を駆使してあるということである。読み人しらずであるが、醍醐天皇の命を受け、紀貫之らが撰者となっているので、この形式を承諾していることになる。
 右の歌は、(遠い飛鳥河の流れる里に梅の枝の花が匂う夜は、春風も役に立たないだろうか?いやそんなことはない。春風はふくいくとした香りを運んできている。)
 「やは」という反語を使って梅の香りにアクションを起こしている。
 この歌にも本歌がある。「采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」(万葉集一・志貴の皇子)
 左の歌を「勝」としたのは、遠方ではあるが見える範囲なら香りも届くであろうという納得性を重視したからか。

by blue-lulubul | 2016-09-11 17:11 | 時緒翔子作
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 一番
    左           仁和寺五十首
 おほぞらは梅のにほひに霞つつくもりもはてぬ春の夜の月
    右            院 五十首
 心あてにわくともわかじ梅の花散(ちり)かふ里の春の淡雪
 
 左の歌は、(大空は梅の香りで霞ながらすっかり曇ってしまった。そんな香りの中に浮かぶ春の月だなあ)
 右の歌は、(なんのわけも目当てもないままに見分けようとしても、見分けられないでしょう。梅の花が散り乱れている里に散り交じる春の淡雪は。)
 この歌の本歌は有名な百人一首の中の「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどわせる白菊の花(凡河内躬恒)である。虚構によって美を強調し、本質を描きだす修辞法である。

by blue-lulubul | 2016-09-05 12:59 | 時緒翔子作
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 歌合の前に漢文で次の但し書きがある。 
 「一二一六年二月(定家五十五歳の春)数年あたためてきた愚詠(自作の詩歌の謙譲語)二百首を選び出し締めくくった。翌一二一七年六月、此の番を破って更にこれを少々改めた。(この改定定本は、現存しているという。)一二一九年天皇(順徳天皇)にひそかにご覧に入れ可否の判定をお願いした。」

 一番
    左 持(持ち合い)      最勝四天王院障子
 春日野にさくや梅が枝雪まより今は春べと若菜つみつつ
    右            千五百番歌合
 消なくに又やみ山をうづむらん若菜つむ野も淡雪ぞ降
 
 左の歌は、(春日野では梅の枝に花がさいているよ。人々は白い雪の間より萌え出た若菜を摘みながら…今はもう春なのだと…)
 右の歌は(まだ雪は消えていないのに、またも雪は深山をうめているのであろう。若菜を摘んでいるここ都の野辺にも淡雪が降っている)
 左右どちらの歌も、後鳥羽院に詠進(詩歌を詠んで朝廷や神社に献上すること。)した歌である。
 「持」とは、(力関係のつり合いがたもたれていること。両歌引き分けということである。) 

by blue-lulubul | 2016-08-20 15:55 | 時緒翔子作
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 『定家卿百番自歌合』は藤原定家が、自分の短歌の二百首を自ら撰んで百番の歌合せに仕立てて組み合わせ、さらに優劣をつけた書である。
 春十四番・夏七番・秋十九番・冬十b番・恋三十番・雑二十番から成る。
 「自家合」「百番」という形式のもとで、二十歳の折の「初学百首から七十一歳の「関白左大臣家百首」に至る、生涯の詠歌を選称した詞歌撰(詩を選んで集めたもの)と称して良い。
 健保四(一二一六)年に撰歌・結番、第一次の成立がなった。
 その後、同五年に改訂し、同七年には天覧(天皇がご覧になること。)勅判(勅命により可と決められること。)を得る。
 のちに貞永元(一二三二)年頃に一部を差し替え、補った。
 採録された歌々は『定家八代抄』所収の自歌や『新古今和歌集』『新勅撰集』入集歌と多く重なる。
 定家は自己の詠作の歴史を健保期に確認して、晩年の貞永頃に改めて顧みたことになる。
 しかし、単に既存の詠草を寄せ集めるのでなく、自詠の精華を素材として、一つのテキストを再構成するという意図も働いていたに違いない。
 ※『新編国家大観。歌合編』 川平ひとし校注参照。

by blue-lulubul | 2016-08-19 16:16 | 時緒翔子作