HANI短歌誌(山下和夫先生追悼号)
2015年 12月 07日
竹の節(よ)を師の影が切れば月の夜に溢れ出づるは無限の霓(にじ)か (lulubul)
山下和夫先生追悼
「凌霄花(りょうぜんか)の花のもとにて」 lulubul
それなのに、朱夏の、しかも例年になく燃えるような暑さの最中にご逝去遊ばれました。
ですが、何かは分からないけれど、二律背反の思いを抱えておられるニュアンスを先生は発光されていて、「ああそれが具体化されたのだ。」と腑に落ちた気が致しました。
短歌創作に置いては、熱い心を内に秘め豊富な言葉を駆使されながら沈着冷静な表現をなされました。
いくらお教え頂いても追い付くことのできない焦燥と不肖の生徒である申し訳なさを抱き続けておりました。
私にとっての山下先生は、いつもいつも、透明で淡彩の心象なのです。ですから、例え激しい感情の表現があっても、その燃えるような魂の芯に何ものを以てしても壊すことのできない詩の塊があるのを感じ取れるからです。
私の家のダイニングに、和紙蠟纈染で先生自らの手によって書かれた短歌があります。
短歌を始めて三年目の一九九七年五月二八日に西部短歌会で注文したものです。
「lulubulさん、複雑な漢字を使ってある歌を選んだね。〈潔癖〉の字には苦労したよ。」と言われた声が今でも胸に響いています。
私は、(萌え出るものなど何一つない冬の空)イコール(清らかさを)維持しているそのことに(ときめいている)というところが無性に好きでした。
先生がいつも教えてくださっている「マイナス」を「プラスに」捉えている創り方だと今では分かりますが、その時は分かりませんでした。
そして…。
先生のお亡くなりになられた四日前の二〇一五年七月二七日が六郷短歌会でした。十一名の会員に「最後の歌集だよ。」とおっしゃりながら本の扉の裏に「恵存」とサインしてくださいました。ですが、一名だけ「書き違えたので来月持ってくるよ」とお持ち帰りになりました。
お葬式の翌日の八月四日に先生のお嬢様から「六郷会員の方のサインをした歌集が置いてありましたのでお送り致します。」とお電話がありました。最後まで曇りなき先生でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
「凌霄花(りょうぜんか)の花のもとにて」 lulubul
夏、橙赤色の大花の炎を掲げる凌霄花ほど山下先生に相応しくない花はないだろうと、私は常日頃思っておりました。
それなのに、朱夏の、しかも例年になく燃えるような暑さの最中にご逝去遊ばれました。
ですが、何かは分からないけれど、二律背反の思いを抱えておられるニュアンスを先生は発光されていて、「ああそれが具体化されたのだ。」と腑に落ちた気が致しました。
短歌創作に置いては、熱い心を内に秘め豊富な言葉を駆使されながら沈着冷静な表現をなされました。
いくらお教え頂いても追い付くことのできない焦燥と不肖の生徒である申し訳なさを抱き続けておりました。
私にとっての山下先生は、いつもいつも、透明で淡彩の心象なのです。ですから、例え激しい感情の表現があっても、その燃えるような魂の芯に何ものを以てしても壊すことのできない詩の塊があるのを感じ取れるからです。
私の家のダイニングに、和紙蠟纈染で先生自らの手によって書かれた短歌があります。
しんかんと冬の空あり萌ゆるもの
なき潔癖を保つときめき(山下和夫)
短歌を始めて三年目の一九九七年五月二八日に西部短歌会で注文したものです。
「lulubulさん、複雑な漢字を使ってある歌を選んだね。〈潔癖〉の字には苦労したよ。」と言われた声が今でも胸に響いています。
私は、(萌え出るものなど何一つない冬の空)イコール(清らかさを)維持しているそのことに(ときめいている)というところが無性に好きでした。
先生がいつも教えてくださっている「マイナス」を「プラスに」捉えている創り方だと今では分かりますが、その時は分かりませんでした。
そして…。
先生のお亡くなりになられた四日前の二〇一五年七月二七日が六郷短歌会でした。十一名の会員に「最後の歌集だよ。」とおっしゃりながら本の扉の裏に「恵存」とサインしてくださいました。ですが、一名だけ「書き違えたので来月持ってくるよ」とお持ち帰りになりました。
お葬式の翌日の八月四日に先生のお嬢様から「六郷会員の方のサインをした歌集が置いてありましたのでお送り致します。」とお電話がありました。最後まで曇りなき先生でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
by blue-lulubul
| 2015-12-07 15:49